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DeNAなんて大したことない。

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不格好経営

DeNAなんて大したことない。

 

1999年3月東京都世田谷区に有限会社ディー・エヌ・エーが生まれた。

創業者は南場智子

発端は当時のソネット社長、山本泉二との会食の席だった。ソネットがやるべきだという事業内容を熱心に語る南場に対して山本泉二が「そんなに熱っぽく語るなら、自分でやってみたらどうだ」と伝えた。マッキンゼーに勤めていた南場智子は当時の出来事を「熱病にかかった」と表現している。

誘った仲間はマッキンゼーの同僚であった川田尚吾と渡辺雅之。社名は「DNA」に「eコマース」の"e"を入れ、「DeNA」とした。代々木公園近くの20平米のアパートからのスタートだった。

最初に取り組んだサービスは「ネットオークション」

今では当たり前に存在するネットオークションだが当時はどこも参入しておらず、南場は市場に一番乗りしたいという気持ちが急いた。

仕様の詰めが終わり、10月の終わりの金曜日、サービスのテストを開始するぞ、という時に悲劇は起きた。納品される予定のものがなかったのである。

システム設計をしてくれるはずの外注会社が無くなっており、DeNAに対しては作業が進んでいるように報告をしていたのだ。

南場はその時の出来事を「わが社最大のトラウマ」と表現している。

その後他の外注会社を探し回ったが、どこにも仕事を受けてもらえなかった。ただ最後の一社がある条件付きで仕事を受けると言った。

「ユーザーから商品の出品ができない」

ネットオークションとしては致命的である。それでも前に進むしかなかった。

サービスの開発中、一人の男性がDeNAを訪ねた。当時オラクルに勤めていた安藤である。そして奇しくもその安藤が連れてきた同僚の一人に現DeNA代表取締役社長の守安功がいた。DeNAの技術力強化がここから始まり、サービスの開発速度は高まっていった。

 
コトに向かう

そして1999年11月29日DeNA初のサービス、ビッターズが誕生した。

その時を物語る写真が一枚残されている。

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お金が大好きな守安も、とにかく褒められたい渡辺も、コミュニティが大好きな社員もいた。それぞれ異なるモチベーションの源泉を持つメンバーが一つの目標に向かって突き進む。南場はこれを「コトに向かう」と表現しているが、これを達成した時の喜びと高揚感をDeNAの経営の中枢にしようと、南場は決めた。

これが企業のトップであるとか、リーダーから見た目線だと思います。ただ企業のトップとかリーダーではない人間から見ても、この瞬間が多い人生というのは、すごく、何て言うんでしょうか、輝いていて、彩り豊かでいいな、と感じます。どうやったらこうなるのか。やっぱり「人や自分に向かわずに、コトに向かう」。それが今日の1つのメッセージなんです。

そうですね、ちょっと抽象的な言い方だったかもしれないですが、誰についていくとか、誰に評価されるとか、あるいは自分ができる、できない、もう少し成長していかないといけないのではないか。そういうことに意識を向けるんではなくて、純粋はチームの目標や自分の目標に向かって、それに本当に集中してみると、すごく充実した人生が送れるんじゃないかと思います。

ここにいる人がどういう人なのか、まったくわからなくて、一人ひとりの顔もよく見えません。ただ、おそらく、何か仕事を一生懸命にやっていらっしゃる方々じゃないのかなと。そういう前提で話をしています。仕事で輝く人生、それはプライベートなワークライフバランスを捨てろと言っているのではなくて、そういったバランスを取りつつも充実したキャリアを歩むためには、私は「コトに向かう姿勢」が大事じゃないかなと。人とか自分じゃなくて。そんなふうに感じているし、コトに集中できるチームに呼ばれる人材であれたらいいなと思います。

 
敗北。方針転換

なんとかビッターズのリリースにこぎつけたものの、開発の遅れもあり、ネットオークションとしてはヤフー、楽天に先を越され後発となってしまう。また、突貫工事で作ったシステムは脆弱で一時間で何度もシステムダウンが起きていた。みんなパソコンの隣で寝て、いつでもシステム再起動をかけれるようにした。さらにWEB上での出品ができない。ソネットリクルートから出品物をもらい、データを打ち込む。まさに自転車操業だった。コンサルタント界隈でビッターズは「負け犬」とされた。

しかし、転機が訪れる。ネットオークション最大手のヤフオクが利用料を値上げしたのだ。ユーザーからの反発は必須。深夜11時50分の値上げ発表5分後、DeNAの幹部陣はすぐさまミーティングを開いた。ビッターズは値下げを敢行。またこの時ヤフオクのページ内に「オークションならビッターズ」という広告が出された。今では考えられない業界の珍事である。それほどビッターズは攻勢に出ていた。

ビッターズの出品数は勢いよく伸びていき、ヤフオクの出品数は下降の一途を辿った。しかし、4か月後ヤフーの下降線が止まった。時同じくしてビッターズの上昇も止まったのだ。

敗北。DeNAはビッターズの黒字転換へ舵を切り直した。

方針はビッターズのネットショッピング化。ヤフーの次は楽天に競合を移すのか?と揶揄されたが揺らがなかった。出品してくれる企業への営業力強化を図った。

そして2003年3月期、DeNA黒字化を達成。

南場は社長業をしていて泣いたのはこの日だけだと、言っている。

 
モバイルシフト

黒字化してからは堅調に売上・利益を伸ばしてきたが、オークションでも2番手、ショッピングでも2番手。負けず嫌いの社員たちは1番を目指し始め、新規事業の模索を始めた。

何かでナンバーワンになりたい。というシンプルな目標をかかげ幾つかの事業を試し、2004年春にリリースした携帯向けオークションサイト「モバオク」で大きな手応えを掴んだ。そこからDeNAはPC中心の戦略からモバイル中心の戦略に移っていく。その当時パケット定額制が普及し始め、その流れを捉え、タイミングのあったものを出す。この成功からDeNAの躍進が始まる。ちなみにモバオクリリースの1年後DeNAマザーズ上場を果たす。

モバオクに続き、携帯向け広告配信サービス「ポケットアフィリエイト」も当たり、その後守安の提案でモバオクのユーザー資産を利用したゲーム事業がスタートする。モバゲーである。モバゲーはリリース数時間後には成功と言えるKPIを叩き出した。この時に南場は守安を増やしたい、あと何人守安を生み出せるだろうか?と考えた。会社を大きくするには守安のような人間がもっと必要だと。

ただ、モバゲーという新たなイノベーションは同時に新たな課題を生み出した。モバゲーを介した出会いである。出会い目的の利用とともに犯罪に巻き込まれる未成年の被害者も出た。そして18歳未満の未成年に対してモバゲーのようなコミュニティサービスの使用を制限する携帯フィルタリングが始まった。ただ使用の完全禁止ではなく制限で収まったのはDeNAの想像を絶する努力の賜物だ。自社でのCSの強化、システム投資によりモバゲーはコミュニティサービスの中で1番被害件数が少ない。

 

売り上げの停滞。ソーシャルゲームの誕生

フィルタリングサービス開始と時同じくして、DeNAの企業成長が止まった。当時の収益源はアバターの着せ替えだった。敵はフィルタリングサービスなどではない。モバイルユーザーの「嗜好の移るスピード」だった。この時の株価は高値時の3分の1まで低迷。ただこの苦しい時に生まれたのがDeNAのマインド面での約束事DeNAクオリティーだ。創業期に学んだ立ち直り方を見せようじゃないか、という思いだった。

会社のマインドを打ち出し、再起をかけるDeNAは当時COOであった守安を現場におろしモバゲー事業の再起「ソーシャルゲーム事業」を立ち上げる。投入された人材は各部門のいわゆる「若手エース」たち。各部門からの反発はあったが、守安を中心にプロジェクトが進んでいった。最初に立ち上がったタイトルは3タイトル。「ホシツク」「海賊トレジャー」「怪盗ロワイヤル」である。中でも怪盗ロワイヤルは一斉を風靡し、月の売り上げは数十億にもなった。怪盗ロワイヤルを作った社員は1度プロジェクトを大失敗している。ただ失敗に至るプロセスは素晴らしく、ソーシャルゲームプロジェクトに抜擢された。

DeNAにとって「失敗は成功のジャンプ台」なのだ。

 

イノベーションによる新たな課題

ソーシャルゲーム事業の躍進の中、DeNAには新たな課題が出てきた。競争者に対する取引妨害が行われているのではないかと、公正取引委員会から疑いがかけられたのだ。

結果は取引妨害行為を行っていた、とされた。ただこのような行為はすでに解消されていたため、現在行っていないこと、また今後そのような行為は行わないことを確認せよ、という命令のみに留まった。

さらに悲劇は続く。南場の社長退任だ。南場は家庭の事情により社長業を続けることが困難となり、退くことになった。

後任は代表取締役社長に守安、会長に春田、南場は非常勤の取締役とした。

その新経営陣にさらなる試練が続く。

2012年春、ソーシャルゲームにおいて一部熱狂的なユーザーの高額課金が発生し、社会問題となった。いわゆる「コンプガチャ問題」だ。DeNAは積極的にプラットフォーム内のコンプガチャを全面的に禁止する方針を決定した。さらにソーシャルゲームが社会に受け入れられるサービスのあり方・推進していく業界団体の発足にも積極的に関与した。

イノベーションは新たな課題を産む。

 

永久ベンチャー

DeNAは現在、ネイティブゲーム市場において一定の地位に立っているがナンバーワンではない。メディア領域においてもトップを取る勢いであったが、いわゆるWELQ問題により10のメディアを停止、課題への着手が迫られている。課題は山積みだ。ただこのチームであればさらなる飛躍をしてくれるだろう。「失敗は成功へのジャンプ台」なのだから。

 

このチームで世界を驚かせたい 。まだ夢の途中。その夢の中には「玉の表面積」と表現される全社員がいる。

転んでもまたすぐに立ち上がるマインド。

成功よりも失敗の多さが目立つ不格好経営

そんな、どこにでもある永久ベンチャー

 

それが、DeNA